こんばんは。
奈良北西部、おだやかな夜を迎えています。
先週の日曜日は、
今日は、
大和の人々に貴重な先端技術伝授し、
日本史の教科書に、その名を刻んだ渡来人が、
居住していた檜前(ひのくま)の辺りを歩いてきました。
百科事典マイペディアの解説では
秦(はた)氏と並ぶ渡来系の有力大氏族。姓(かばね)は初め直(あたえ)。東漢は西漢(かわちのあや)に対する称であるが,同族ではない。応神天皇20年に後漢霊帝の裔という阿知使主(あちのおみ)が17県の党類を率いて渡来したと伝える。大和盆地南辺檜前(ひのくま)地方を拠点とし,新たに大陸から渡来した技術者集団を本宗家の支配下に編入。のち多くの氏に分化,朝廷の財務・外交・文筆などに携わり,文化・技術の発展に大きく寄与した。八色(やくさ)の姓制で忌寸(いみき)に改姓。8世紀以降坂上(さかのうえ)氏が優勢となって本宗家の地位を確立。征夷大将軍・坂上田村麻呂が著名。→渡来人/漢氏
→関連項目西文氏|新沢千塚古墳群
彼等が暮らした檜前(ひのくま)の現在の風景はこの通りです。
5世紀頃から渡来人としてこの地に定住し、
先端技術を有する集団として、
大和王権や有力豪族にとって、重要な存在となりました。
私も20代後半から海外勤務を経験しているので、
1500年前、
海を渡って飛鳥に来た彼等が、
どんな思いを抱いていたのか?
妄想を逞しくしています。
彼等によって、
大和の人たちが
文字、建築、機織り、その他各種の技術等を、
習得していったのでしょうね。
於美阿志神社
檜前寺跡で、
渡来系氏族、東漢氏の氏寺とされる古代寺院ですが、
今は於美阿志神社となっています。
隣接する公園には、
古代の渡来人たちの生活が再現されています。
今も韓国で使われているオンドル、
この付近の遺跡から確認されています。
果物についての記述もあって・・・
当時の人たちの生活の一端を知ることができます。
四神の館では、こんなイベントが開かれていました。
句玉づくり
富本銭づくり
海獣葡萄鏡づくり
最後にキトラ古墳へ・・・
天文学ファンにはお宝の・・・天井「天文図」(笑)
この古墳に誰が眠っているのか?
わかっているのは、
熟年男性で、
埋葬品から高貴な身分の人だということ
後は・・・・・・・?
謎です。
何度飛鳥を歩いても、
飽きることがありません。
当時の人々は、
国や国境なんて考えたことあるのでしょうか?
あっても、
おそらく、
現代の概念とは違うと思います。
ひとり妄想を楽しみながら、
壺阪寺駅へ・・・
やっぱり、
道ばたにありました!
高取といえば・・・・・・・
山城として有名な高取城とセットでお楽しみください!
四季折々、
この辺りを歩いて、
古代への妄想を楽しんでいます。
今日も楽しい一日でした。(笑)
では・・・
みなさん、
ステキな月曜日をお迎えください。