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奈良県在住。日々のログとして書くことにします。

古墳の案内板なのに、「大奥」の文字、なんででしょう?(笑)

こんばんは。

 

"古墳にコーフン”ってことで・・・

 

 このタウン誌を道案内にして出かけました。

 

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御所・葛城は古代の豪族葛城氏の勢力範囲だった場所で、

 

現在の香芝市広陵町・葛城市・御所市などにあたります。

 

※月刊 大和路ならら  2018年1月号 p27より

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今回訪れたのは、下の写真中央部にある屋敷山古墳です。

 

この地図では⑫です。

 ※月刊 大和路ならら  2018年1月号 p30より

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古墳ですが、室町時代は布施氏が、江戸時代になり桑山氏が新庄藩2万石の陣屋と使

 

用したため、原型をとどめていない部分があるようです。

 

現在、集中豪雨の影響で立ち入り禁止となっています。

 

残念!

 

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全長135m 西暦470年頃(古墳時代中期後半)につくられたとみられています。

 

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葛城山麓の麓にあり、のどかな景色が広がっています。

 

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古墳の案内板で、???なことに気がつきました。

 

下の写真の中央から少し下の部分に大奥の文字?? 

 

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「なんで大奥なん???」と思いましたが・・・・・・

 

 

この古墳は、室町から江戸時代にかけ、武士の陣屋として利用された経緯があります。

 

その当時、大名等が住む陣屋等で、奥方と何人かの腰元が住んでいた屋敷を大奥と

 

呼んだのではと思いました。(個人的意見です。)

 

 

その陣屋の配置図が古墳の地形図とともに表示されていたのです。

 

 紛らわしい案内板ですね。(笑)

 

 

 

 満開のつつじを堪能しながら家路につきました。

 

今日で4月もおしまい。

  

さわやかな5月をお迎えください!