こんにちは。
奈良北西部、おだやかな週末・月末になっています。
新聞には選挙関係のさまざまな記事・意見が溢れています。
自分なりにどう考えるか? という時、折に触れ読み返してきた本があります。
岩波新書 328 辰濃和男著 『文章の書き方』 1994年
朝日新聞の「天声人語」の執筆者だった人私が勝手に私淑しています。
実は2016年5月15日、この本について記事を書きました。
辰濃和男の考えが、今回の選挙で候補者を判断する指針になると思うので
改めてご紹介したいと思います。
しかし、とくに考えてみたいのは「文は心である」ということです。
「正確にものごとを見る訓練をおろそかにしている人が、はたして正確な
文章を書くことができるでしょうか。大自然と遊ぶたのしさを知らない人
が、人の心をとらえる自然の描写をすることができるでしょうか。品性の
いやしさが顔に現れている人が、品格のある文章を書くことができるで
しょうか。いらいらせかせかの気分のまま机に向かって、読む人の心にし
みる落ち着いた文章を書くことがで切るでしょうか。ひとりよがりなこと
ばかりいっている人が、目配りのきいた、均衡のとれた文章を書くことが
できるでしょうか。表面はごまかせるかもわかりません。しかし心のゆが
みは、その人の文章のどこかに現れます。
ですから、文章の修行をするということは机の前に座ったときにはじまる
わけではないのです。いい文章をかくことと、日常の暮らしの心のありよ
うとは深いつながりがあります。その人の文章のありようと、その人の生
きる心の営みとは切り離せません。」
岩波新書 328 辰濃和男著 『文章の書き方』1994年まえがきⅰ ~ⅱ
より
私は、文を、そのときどきに該当する状況に置き換えて考えるように
してきました。
今回は為政者・政党の「行い・心のありよう」です。
各政党、候補者がいろいろなことを訴えて美辞麗句が並ぶでしょうね。
しかし・・・・・
彼らの行ってきた行為を、一つ一つ冷静に振り返ってみましょう。
私たちが彼らの「行い・心のありよう」を考え抜いて判断すること。
後は・・・・
日本人の健全な常識が進路を決めるでしょう。(そう思いたいですね。)
のどかな大和路・・・・・
では、実りの10月を迎お迎えください。