おはようございます。
奈良北西部、おだやかですが肌寒い朝になっています。
久しぶりにブログを書こうと思ったら、悲しい記事が目に飛び込んできました。
『文章の書き方』「天声人語」の著者、辰濃和男さんがお亡くなりになりました。
1993年、40歳になったころ、『文章の書き方』に出会いました。
さまざまな人々の日々の営みをイキイキとした文章で綴られ、そのまなざしの暖かさ
に教えられることが度々ありました。
「正確にものごとを見る訓練をおろそかにしている人が、はたして正確な文章を書くことができるでしょうか。大自然と遊ぶたのしさを知らない人が、人の心をとらえる自然の描写をすることができるでしょうか。品性のいやしさが顔に現れている人が、品格のある文章を書くことができるでしょうか。いらいらせかせかの気分のまま机に向かって、読む人の心にしみる落ち着いた文章を書くことがで切るでしょうか。ひとりよがりなことばかりいっている人が、目配りのきいた、均衡のとれた文章を書くことができるでしょうか。表面はごまかせるかもわかりません。しかし心のゆがみは、その人の文章のどこかに現れます。ですから、文章の修行をするとゆうことは机の前に座ったときにはじまるわけではないのです。いい文章をかくことと、日常の暮らしの心のありようとは深いつながりがあります。
その人の文章のありようと、その人の生きる心の営みとは切り離せません。」
『文章の書き方』岩波新書 328 まえがきより
このまえがきは、私の大切な「考えるヒント」になりました。
不寛容と自己中心の内向き社会にむかいつつある時、辰濃和男さんが、著書の中で問い
かけているものを見つめなおすべきだと思います。
辰濃和男さん。
貴方の著書から生きるための大切な心構えをみつけることが出来ました。
お礼申し上げます。
心からご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。
では、みなさん、充実した一日をお過ごしください。