こんばんは。
奈良北西部、
雨も上がり、
穏やかな夜になりました。
21日(木)
仕事で京都に出かけて来ました。
高瀬川付近を歩いていて、
ふと目にとまりました。
日本映画発祥の地の案内板、
近くには、
先斗町の歌舞練場もあって、
いかにも京の町らしい場所、
お龍のが独身時代の寓居跡の石碑もあって、
この辺りを少し歩くと
いろいろな歴史の一コマに出会えます。
さて、その高瀬川、
江戸時代、高瀬舟というものがありました。
高瀬舟といえば・・・・
鴎外の『高瀬舟』ですよね。
というわけで・・・
今日、
読み直してみました。
庄兵衛はその場の様子を
目 のあたり見るような思いをして聞いていたが、これがはたして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑いが、話を半分聞いた時から起こって来て、聞いてしまっても、その疑いを解くことができなかった。弟は剃刀 を 抜いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと言った。それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとは言われる。しかしそのままにしておいても、どう せ死ななくてはならぬ弟であったらしい。それが早く死にたいと言ったのは、苦しさに耐えなかったからである。喜助はその苦 を見ているに忍びなかった。苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。
底本:「山椒大夫・高瀬舟」岩波文庫
1938(昭和13)年7月1日第1刷発行
1967(昭和42)年6月16日第34刷改版発行
1998(平成10)年4月6日第77刷発行
初出:「中央公論 第31年第1号」
1916(大正5)年1月1日発行 より
人生とは、
一言で断定できない状況の連続なのかもしれません。
シェ-クスピアなら
『きれいは汚い 汚いはきれい』
という台詞を言わせるのかも・・・
この作品を初めて読んだのは50年以上も前、
何もわかりませんでした。
あほ・・・でしたね。(笑)
60半ばになって、
この小説を読み直して、
鴎外の文章の素晴らしさに脱帽!
簡潔、明瞭、
心に響いてきます。
遅すぎますねえ。
あきませんなあ~
旧陸軍の軍医として、
最高位に上り詰めた彼が、
晩年、
なぜ歴史を題材にした作品を書いたのか?
『青空文庫』を読みながら、
鴎外と対話してみようと思います。
だいそれた企みですが・・・(笑)
では・・・
手洗い、消毒、換気を心がけながら・・・
春に向かって、
日々過ごそうと思います。
初老の独り言でした。
では・・
みなさん、
おやすみなさい。