17日伏見の淀に向かいました。
淀といえば、競馬ファンなら京都競馬場、
歴史好きなら秀吉が茶々のために築城した淀城という事になるのでしょう。
仕事の打ち合わせが早く終わったので、淀城址を訪ねてみることにしました。
秀吉が茶々のために築城した淀城は、関白秀次の謀反の疑いの時、城主木村重滋の連座
で廃城になり、この城は徳川の世になってから新たに築城されたものです。
現在は本丸の石垣の一部と堀の一部が残っています。
歴代、譜代大名が城主を務めていましたが、皮肉な結果を迎えることになります。
鳥羽伏見の戦いに敗れた幕府軍はこの城に籠ろうとしますが、淀藩はこれを拒否、
官軍の勝利に一役買うことになりました。
淀藩が歴史の表舞台に登場したのはこの時だけだと思います。
お隣には與杼神社があります。
平日だったせいか、私一人でした。
この境内の中に、大阪淀屋橋の地名の由来になった豪商淀屋の高灯籠がありました。
150年ほど前には、日本全国にこのような小さなお城があったと思います。
明治になり、城は姿を消してゆきました。
今、天空の城などがブームですが、このような忘れ去られようとしている城址
を歩いてみたいなあと思っています。
お京阪も時々表情を変えますね。・・・
では、楽しい一日を。・・・