こんばんは。
みなさんのブログを読ませていただきながら、ある言葉を思い出しました。
「文は心である」というフレーズです。
これは私が考えたものではありません。
『文章の書き方』岩波新書328 辰濃和男著 1994年 のまえがきの中で、読者に問題提起したものです。(私にはそう読み取れました。)
少し長くなりますが、真意を伝えたいので引用します。
「正確にものごとを見る訓練をおろそかにしている人が、はたして正確な文章を書くことができるでしょうか。大自然と遊ぶたのしさを知らない人が、人の心をとらえる自然の描写をすることができるでしょうか。品性のいやしさが顔に現れている人が、品格のある文章を書くことができるでしょうか。いらいらせかせかの気分のまま机に向かって、読む人の心にしみる落ち着いた文章を書くことがで切るでしょうか。ひとりよがりなことばかりいっている人が、目配りのきいた、均衡のとれた文章を書くことができるでしょうか。表面はごまかせるかもわかりません。しかし心のゆがみは、その人の文章のどこかに現れます。ですから、文章の修行をするとゆうことは机の前に座ったときにはじまるわけではないのです。いい文章をかくことと、日常の暮らしの心のありようとは深いつながりがあります。その人の文章のありようと、その人の生きる心の営みとは切り離せません。」
これは単なる文章論ではない。・・・
天声人語を書いた辰濃和男の生きる指針だと思いました。
彼のように達意の名文が私に書けるわけもありません。
しかし、彼の心のありようは見倣っていこうと思っています。
このおたふくさまのように・・
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年を重ねるごとにおだやかな表情になってゆきたいと思います。
では、明日から・・つたない文章ですが・・・
お読みいただきたいと思います。
では、おやすみなさい。