5月4日、奈良北西部は晴れておだやかな朝を迎えています。
コーヒーを淹れて、新聞に目をとおしました。
憲法に関する様々な意見が読み取れます。
改憲を否定しませんが、変えてすべてよくなるわけでもなし、
かえって今以上に悪くなることもあるでしょう。
改憲を望む為政者達の主張もいまいちですねえ。
ピンときません。
時代を正しく見据えているのでしょうか?
私が見誤り続けてきたことは自戒を込めて断言できます。(ニガ(笑)
改憲論議は・・・・・・・
これからを生きる世代の健全な判断に託したいと思います。
さて・・・・・・
道案内は以前ご紹介した ”大阪あそ歩”のHPにアップされている地図です。
京阪天満橋駅を地上に上がり、谷町筋に架かっている天満橋を北に渡ります。
この橋の街灯、レトロですね。
最近、マイボトルの皆さんを多く見かけますが・・・・・・
魔法瓶(表現が古臭いですが)といえば ”象印”・・・・・
本社はここにあり、まほうびん記念館もあるんですね。
この辺り、昔は空心町といったんですね。
さて、この辺り昔は、奉行所の与力の人たちが住む町だったようです。
大阪造幣局の敷地内に与力の役宅門がありました。(敷地外から撮影)
川崎東照宮跡という石碑がありました。
さて、この場所で歴史に名前を残す人物が登場します。
陽明学の徒大塩平八郎の自宅洗心洞跡が造幣局の敷地内にあります。
今回は敷地内には入っていませんので撮影できませんでした。
京橋に向かって少し歩くと・・・・
ご存知、造幣局です。
”銀橋”と橋のたもとにレトロな建造物がありました。
道路を挟んで北側には桜ノ宮公会堂の建物が残っています。
今は商業施設に変わったようです。
今回は見学しませんでした。
来た道を戻って、大川沿いに向かいます。
この辺りは京に向かう三十石船の船着場でした。
大阪の卸売市場は今は福島の近くにありますが、昔はこの天満に青果の卸売市場があ
り、そこで働く子守娘が唄った子守唄の碑が置かれています。
惣会所とは、惣年寄が集まる事務所のようなもので、大阪は3か所(北・南・天満)だった
そうです。
NHK時代劇「銀二貫」の舞台になったのがこの辺りだったと思うのですが・・・・
作家川端康成の生まれたのもこの辺りです。
大阪天満宮にお参りをして・・・・・
虫の良いお願い事をしてきました。
妄想の塊のようなお願い事で申し訳ないと思います。
あきれてはるやろなあ~
大阪のガラス発祥の地であることを初めて知りました。
そして、浜ちゃんの”ごぶごぶ”に登場したコロッケ屋さん、今日も賑わってました。
そろそろ歩き疲れたので、南森町駅から家路につきました。