今日は駅や駅の近くで偶然目にしたものを綴ってみます。
まず「駅名標」です。
大阪環状線はリニューアルが進み、昔の面影がなくなってきました。
そんな中で、この「駅名標」が見つかりました。
手書きの「駅名標」が現存しているのはほとんどないそうです。
天王寺に仕事で向かう途中寺田町駅で途中下車しカメラに収めました。
これは、ご覧になった方も多いと思います。
「酒樽」
伏見を代表するお酒が飾られていますね。
みなさん、どの銘柄がお好きですか?
和y田氏は、美味しいお酒をいただきながら『伏見』の町を歩こうと思っています。
次は「レトロな駅舎」です。
これは南海本線(関西空港線)の浜寺公園という駅の駅舎でした。
1998年国の登録有形文化財に選定され、近畿の駅百選にも選ばれています。
1907年に完成、ハーフティンバー様式で、設計者は東京駅を設計した辰野金吾です。
昭和30年頃までは海水浴が出来ました。大阪市内にも近く、しゃれた洋館が多く立ち並
ぶ、ええし(関西では、お金持ちの人たちをこう呼びます。)が住む街でした。
熱烈なファンの方のHPです。
浜寺公園駅 (南海電鉄本線) ~明治の洋風木造駅舎~ - 駅と駅舎の旅写真館
今年この駅は南海本線の高架交差工事に伴い現役引退となりました。
大切に保存してほしいと思います。
次は、「ホームベース」です。
南海電鉄難波駅の横になんばパークスという大きな商業施設がありますね。
駅から連絡通路を使ってパークスの2Fにむかう青空通路に「ホームベース」・・・
昔、ここは、プロ野球の球団「南海ホークス」の本拠地「大阪球場」でした。
球場の歩き方 - 大阪球場
その後ホークスは福岡に移り、ソフトバンクホークスになり、球場も昭和63年でその使
命を終え、その後なんばパークスの敷地となりました。
この写真は、かつて球場でホームベースが置かれていた場所に記念としてプレートが
敷かれています。
実は、小6の時私はこの大阪球場で野球をしたことがあります。
「南海ホークス」の子供ファンクラブ『リトルホークス』のメンバーを集めて
大阪球場で試合というイベントがありました。(私は生粋の南海ファンでした。)
参加申し込みをし、ピッチャーとして憧れのグランドで投げる事が出来ました。
私がぎっちょ(大阪では左利きをこういいます。)だったからでしょうね。
大切な思い出になりました。
この球場同様、森ノ宮の日生球場、 西宮北口の西宮球場も同じ運命をたどりました。
阪急・近鉄・南海という私鉄がかつてプロ球団を所有していたこと。
そして、そのホームグランドの球場の記憶も消えてゆくのでしょうね。・・
在阪私鉄でプロ球団を所有するのは阪神だけになりました。
最後は「公衆電話」
南海高野線「堺東」駅を出て、市役所に向かうと出迎えてくれます。
本物は旧堺港に立っています。
「スマートで、目先が利いて几帳面 負けじ魂、これぞ船乗り。」
ヨット好きの友人がいつも口ずさんでいましたが、今の若い人たちはしってるかなあ?
明日は、お墓参りに行ってきます。
楽しいお盆休みをお過ごしください!